すべて無価値
昨日、学校帰りに大学時代の友人で青年海外協力隊に参加したことのある子と、久しぶりに電話で話をしました。
その子はマラウイに行っていたから、活動場所は違ったけれど、
それでも共感できることがたくさんあって、
悩んでたこととかもすごく分かる気がして、とっても刺激になる良い時間になりました。
さらに、昨日、
夜な夜な同期隊員と語りました。
やっぱり日頃のストレスを日本語で話せる人が近くにいるって、すごく心の支えになるんだなーって実感しました。
今日は、ちょっと難しい話を頑張って書きますね。
それは
昨日、同期隊員と話した内容なんですが。
全ての物事に真理や目的、意味、価値がないと考えること
を、「ニヒリズム」と言うわけですが。
何も無いこと=虚無 を表します。
ニーチェによると、
この「ニヒリズム」において私たちが取りうる態度には、大きく分けて2つある、
とのこと。
- 何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(消極的・受動的ニヒリズム)。
- すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(積極的・能動的ニヒリズム)。
要するに、
- あーーなんか、嫌なことばっかだなー。このまま頑張っても仕方ないしなー。頑張らなくても意味ないしなー。生きてる価値なんてないなー。
と、消極的=ネガティブ に考えるのか、
- 嫌なことばっかりだし、これを頑張る意味もないけどさ。まぁでも、このまま落ち込んでも仕方ないし。新しい価値が見つかるんじゃね?よし、やってやるか!
と、積極的=ポジティブ に考えるのか、
この2つには大きな差がある、
というわけです。特に、ニーチェは後者を推奨しました。
うーん、難しいですね。
昨日、同期隊員と話していて、
時間に余裕がある
って、なんて素晴らしいんだ!
って実感しました。
日本で働いていた頃、
どこかすぐに批判的に物事を見てしまったり、少し斜に構えて否定的な意見を言ってしまったり、
なんて自分がいました。
僕の周りにもそのような先生は少なからず、いたと思います。
それが悪い、
とは全く思っていません。
むしろ、
そのニヒリズム的な虚無主義の立場に立つこと自体は、発想としてすごく面白い
と思うんです。
ただ、
先生たちは基本的に常に忙しくて、
その先の話をする余裕が生まれにくいのが、現状なんです。
- あれ、やる意味なくね?
- これ、なんで急に始めたの?
- それ、やってどうなるの?
このようなニヒリズムな状態になってから、
- その先にどんな未来を描くかを考えることこそが本来の醍醐味であり、
- 積極的=ポジティブな発想をそこにプラスしていくこと、こそが対話の面白さ
だと思いますが、、、
そこまで語り合う時間が、先生方にはあまりありません。
昨日は、そこまで同期隊員と話ができたからこそ、心がスッキリしたし、脳みそが刺激されて有意義な時間になりました。
青年海外協力隊って、
本当に、サイコーだな!
そう感じた、そんな夜中12時でした。
ちょっとグロい写真なので、
苦手な方は下、見ない方が良いです。
今日、お昼を食べたレストランで、
おっちゃんが
ニワトリをキレイに処理してたよ。
ニワトリのこんな姿、初めて見たよ。
あらゆる生き物の命に感謝して、食事を「いただく」べきだな、
と改めて思ったよ、タンザニアで。
また明日。