テロリストを拷問するのは許されますか、許されませんか

僕には大好きな小説家がいます。

伊坂幸太郎さんです。

彼の『サブマリン』を読みました。


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タイトルは、その中に出てくる話の一部。

 

ビックリしました。

 

だって、

今、並行して読んでいる本と、めちゃくちゃ内容がかぶったからです。

 

今、哲学というか、道徳的な本を読んでいます。『ハーバード白熱教室 講義録』ってやつなんですけど。

 

 

今、あなたは移植医だとする。

生きるためにどうしても臓器移植が必要な5人の患者がいるとして。(ちなみに、その5人は大手企業の社長や有名な研究者だったとしよう。)

5人はそれぞれ、心臓、肺、腎臓、肝臓、すい臓を必要としている。

あなたは医者として、5人の死を目前としている。

その時あなたは、隣の部屋に健康診断を受けに来ている1人の健康な男がいるのを思い出す。(彼はただの一般人だとしよう。)

 

さて、

その1人を殺して5人を助けるか?否か?

 

 

この話を通して、

 

帰結主義的な道徳論

「何をするのが正しくて道徳的か、ということは、行動の結果として生じる帰結で決まる」つまり、帰結がよければいいわけで。

1人が死ななければならないとしても、5人が助かる方が良いと考える

 

 

規範主義的な道徳論

「帰結がどうあれ、ある種の絶対的な道徳的要請や義務や権利の中に道徳性を求める」つまり、殺人はすべきでないわけで。

そもそも1人を殺す、という行為が良くないと考える

 

という全く異なる考え方ができるわけです。

 

 

もう目の前まで迫っている教育改革ですが、

それにより小・中学校では

特別の教科 道徳

なんてものが始まろうとしています。

 

僕は日本に戻っても高校の教員を続けますから。もちろん、今回のそれには該当はしていませんが、「道徳」を授業として扱うのって

 

めちゃくちゃ興味深い

 

と思う反面、

 

めちゃくちゃ危険な面もある

 

ように感じます。

 

だから「特別の教科」なんて名前なのかな?

 

ちなみにですが、

宗教教育を実施している学校では、この教科は新しく設定されたりはしません。

 

それって、考え方によっては、

宗教教育=道徳教育

という側面がある、ということですから。

 

 

タンザニアにいると、

とーるの宗教はなんだ?

って、めちゃくちゃ聞かれますけど。

日本人って、こういう話あまり得意ではない人が圧倒的に多いですよね。僕もしかり。

 

今回の教育改革で、こういう部分の考え方も変わってくるのかな?

 

 

 

今回は、たまたま読んだ小説から道徳の話を少しだけ書いてしまいましたが。

考えれば考えるほど、思うことはたくさんありますし。

ここに書いて、みなさんの考える機会にもなれば、なんて思った次第であります。

 

相変わらず、中途半端に今日のブログは終わりにしますが、

あんまり、多くは書きたくないな、

という変なこだわりがあったり。笑

 

 

 

 

 

村人に急に呼ばれたよ。

 

とーる!

一緒にニワトリ捕まえてくれ!

 

って。


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戦うこと30分。

汗だくになりました。

 

結局、その村人が捕まえたよ。

おれ、必要だったかな?笑

 

 

ニワトリの鬼ごっこしたよ、タンザニアで。

 

また明日。