なぜ、人を殺してはいけないのか
ビックリしました。
愛知県にある名城大学で
学生を名乗る20代の男性が理工学部の准教授を刺した疑いで逮捕されたというニュース。
准教授は首や胸などを刃物で刺されていた、っていうニュース。
いよいよ大学も安全な場所ではなくなってしまったんですね。
殺してはいないものの。
僕はふと、以前読んだ本のことを思い出しました。
内容を一部抜粋します。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
それは、
殺人を許したら、国家が困るから。
たとえば自分は明日誰かに殺されるかもしれないとなれば、人間は経済活動に従事できなくなる。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たない。
自分で買ったものを自分のものと保障されないなら誰もお金を使わない。
そもそも、お金も自分のものと言えなくなる。
そして、『命』は自分の所有物で最も重要なもの。
ならば、まず命を保護しなくては、
少なくとも保護するふりをしなければ、経済活動は止まってしまう。
だから国家はさまざまな禁止事項を作る。
その一つが殺人禁止のルールである。
戦争と死刑が許されるのも、国家の都合で行われるものだから。国家が問題なしと認めたものだけ許される。
そこに倫理は関係ない。
僕の中でのしっくりきているこの答え。
そもそも、
僕は大前提として、
「なぜ、人を殺してはいけないのか?」
と、問う人のことを考えてしまいます。
なぜ、そんなことを考えてしまうのか?
と。
それは
1.道徳的な考え方
なのかもしれませんが。
そんなことに興味を持つことって危なくない?
って思ってしまいます。
また、他の見方をすると、
例えば、
いらない紙を破いても、誰も何も言わないけれど。同じ紙でも、一万円札を破ろうとすると、わー!とかなんでー?とか言われますよね、きっと。
それが人の物ならば、なおさら。
新品同様のパソコンを、自分の物でなかったとして、ぶっ潰せますか?
できませんよね、きっと。
意味があるものって大事にするんですよね、きっと。
だから、
人の命は重くて、人生には意味がある
とハッキリしている人は、めったなことで、捨てるようなことしないと思うんです。
だからだから、
人生の意味がハッキリしなければ、
なぜ人を殺してはいけないのかということについて、答えはでないのではなかろうか。
というのが
2.哲学的な考え方
なのかもしれません。
あれ?
僕はなんで、今日こんなブログを書いてしまっているのだろうか?
- そもそもそう考えることは止めて、
- このブログに僕なりの意味を見つけて、
日々更新していけば良いんだと思うわけであります。
殺人なんて、
善か悪か、とかいう前に
「できない」ですよね、
そんなこと。
で、
この発想にいたった僕は
タンザニアにいる今の僕の状況と何故か照らし合わせてしまい、
「なぜ、わざわざ青年海外協力隊に?」
なんて聞かれたら
良いとか悪いとか考える前に
「できる」ことは挑戦でしょ、
って答えるのかな
なんて考えてしまったわけであります。
あれ?
それならば殺人も
「できる」人からすれば挑戦なのかな?
頭痛くなってきました。笑
でも僕は、
「できない」ことをなんでなんで?
って考えるぐらいなら
「できる」ことに試行錯誤してチャレンジしていく男でありたいな、
と、強く思ったわけであります。
ふと撮ったお昼の景色。
相変わらず太陽が出ている時間は暑さを感じるよ。
来月いよいよ日本に一時帰国するけれど。
たぶん寒くて風邪引くよね。
自分の体調を
一ヶ月前から心配しているよ、タンザニアで。夏空の下で。
また明日。